プロフィール

2020年4月12日

はじめに:このブログについて

ブログを訪れていただき本当にありがとうございます。

このブログでは転職、特に外資系企業への転職を通じて、読者の皆さんのキャリアを広げる応援をしたいと考えています。

 

私は1度の転職と海外駐在を経験し、2022年からは外資系ソフトウェア企業で勤務する予定です。

変化するのは常に恐怖があります。

しかし、少しのきっかけや少しの行動で自分自身が変われたと感じているため、そのきっかけをこのブログを通じて皆さんに提供できましたら幸甚です。

 

 

 

自己紹介

やまっくです。

北海道生まれの30代。

現在は妻と3歳の息子と3人で生活をしています。

簡単に私のキャリア紹介をさせていただきます。

 

 

高校時代

中学卒業後、単身でアメリカへ留学。

「英語が好きだから」という安直な理由と、「目的もなく高校や大学進学したり、何となく就職するんじゃなくて、何か一つやりたいことを見つけてきなさい」と言ってくれた母親の一言で決心。

当時の自分の勇気を称えてあげたい。

 

大学時代

高校卒業後は日本の大学へ進学。高校時代に見た映画の影響でウォール街で働くことに憧れるも、実際は勉強時間<バイト&サークルな日々。

就職活動では第一志望どころか志望していた業界にすら入れず、卒業年度の5月(当時早い人は3月~4月には内定が出ていた)に手持ちがゼロ。ボーダレスに働きたい気持ちの一方で、自分自身の実力・努力が不足していたことを痛感。

二次募集で何とか日系メーカーに営業として8月に内定をもらう。

 

社会人時代~1社目:日系機械メーカー

海外売上比率は80%を超えており、海外へ働くチャンスが大いにあった。

最も早く海外赴任をする人は3年目と聞いていたため、がむしゃらに仕事を頑張った。(今思えば上司、先輩の顔色をうかがって長時間働いていただけだった)

 

しかし、会社はいわゆるブラック。

最初は石の上にも三年と思い、むしろバリバリ働きたいと考えていたから感覚が麻痺していた。

 

でも、上司の働き方を見ていて、家族の時間が全く持てていないことに疑問を感じる。

いざ自分が結婚した時に、この働き方は不幸せだと思った。帯状疱疹が出たり、お酒が飲む量も増えていった。

 

そして、東北への転勤の噂が立ったため、転職活動を開始。

運良く外資系重電メーカーに内定をもらい、2016年に退職。

 

社会人時代~2社目:外資系重電メーカー

2016年~再び営業職に。

その部署には営業が二人しかいなかったため、二人で全国を担当。英語を使う機会が一気に増え、色んな国、バッググランドの人達と接する機会が増えたことで自分自身の考えが広がる。

営業手法や目標設定や目標管理も明確なため、少ない人数で多くのことをこなさなければならないけど、濃密で多岐にわたって学べた。

もう少し同じ職種で活躍の幅を広げたいと思っていた頃、2018年末に運良くタイ赴任のチャンスが飛び込んだ。

迷わず手を挙げ、海外赴任のチャンスを得た。

 

社会人時代~3社目:タイへ海外赴任

2019年4月から家族で赴任。上司はタイ人、社内に日本人はゼロ。ビザ、ワークパーミット、銀行口座開設など、慣れない手続きに振り回されつつ、商習慣や他の日系企業の駐在員と自分の立場・境遇の違いに混乱の日々。

あっという間に1年が過ぎ、仕事には慣れた頃にコロナウイルスの蔓延。

当初3年以上と言われていた駐在も2年間で終え、日本へ帰国することになる。

 

社会人時代~:日本へ帰国

2年振りに日本で勤務を開始。

新しい業務にも挑戦させてもらいつつ、新天地を楽しんでいた。

 

帰国して半年ほどが経った頃、転職エージェント・サイトの登録を解除していないため常に舞い込む求人の中、1社気になる求人があり応募。

ご縁があって内定をもらい、2022年~別会社で勤務することを決意。

 

社会人時代~4社目:外資系ソフトウェアメーカーへ

今までハードウェアの会社で勤務していましたが、「製造業の営業×英語」という軸を変えずにキャリアを歩んでいます。

 

多くの転勤や駐在を経験し、2度目転職。

これからのキャリアはまた記事にしていけたらと考えています。

 

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